うしずぼ日記

ひゅ~ん

コンプレックス

やあ。一平だ。

一平といっても違法賭博マニアの一平ではない。じゃあお前誰だよ。

 

本日は、人間が抱える10のコンプレックスについてお話しよう。いや、やめとくわ。1つぐらいにしとく。

何を隠そう私の友人が数日前から遠くへ行ってしまった。死んだわけじゃない。さらなる夢を求めての勇気ある旅立ちだ。けしてリスクがないわけでもないし、夢に近づくには人並み外れた努力だっている。応援はしている。

 


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さて、そんな彼に向けて、少々お恥ずかしい話でもしよう。学歴コンプレックスについてだ。

このブログの書き手にも、読み手にも、持っている人は絶対にいるはずだ。私もその中のひとりである。ゆえに今日の記事は見苦しい部分があるかもしれない。私の本音である。

 

私はもともとフワフワした性格、というよりもある程度の夢を持っているだけの人間であった。しかし急激に進路を変え、失礼だが安牌に滑り込み(?)で成功した。

そして進路も決まり数日がたったある日。同じ母校の人間で集まる機会があった。

私のようにフワフワした進路をもった人間を同級生で数人知っていた私だが、うち半分は音楽の道を志していた。

その中に名前こそ書かないが、日本トップの芸術大学を目指す人がいた。私はその人とさして仲が言い訳ではないが、たまに話すほどの関係ではあった。

そして時は進み、私はその集まりで彼が合格したことを知った。

驚きのあとに、嫉妬が湧いた。

 

私は嫉妬深い。この話は知り合いにはよくしている。受験番号も教えたくなかったし、他の人のそれも知りたくなかった。なので、その感情の流転は大方予想通りだった。だからこそ、避けたくもあった。聞きたくなかったのかもしれない。

 

彼の合格で高校は持ち切りだろうし、あるいは初の快挙かもしれない。

 

私が作業を終え集まりに戻ったら、そこに彼はいた。おめでとう。凄いよ。私は彼に抱く感情の一部分を素直に伝えた。

「また何か出来たらいいね」

そう言い、私と彼は別れた。アーティストとしての共作という意味で通じただろう。

叶うことはあるだろうか。

 

あたたかな幕開けのようにも思うが、それ以降私の意識には彼が、いや彼の学歴が常について回るようになってしまった。正直、悔しい。羨ましいのだ。私は何度かこのことを友人に話そうとした。しかし話せなかった。この嫉妬、悔しさが消えそうな気がしたから。

 

私は美術専攻(音楽もできるが(自慢ではないが(ドヤ顔ではないが)))なのだが、どうしても楽器と違い、明確に求められるジャンルがある。しかも複数だ。幼い頃から相当の修練がなければ目指すことすら難しい。いや、目指すのはどうにかなるけど。それなら音楽系もそうではないか?という声も分かるが、まあ無知は黙れ。

 

ニホンの芸術教育は遅れている。このセリフを私は2ヶ月の間で10回は聞いた。私は受験に向けてとある塾に通っていたのだが、その塾長の言葉だ。その方は有名な某私立2大巨頭系美大出身であり、様々な経験をしているからこそ言えることだろうが。

その方は続ける。世界の美術・芸術大学を上から100個並べると、日本の大学は1つも入らないというデータがある。そして、その一番の原因は入試にある。と。

まず、日本の大学は一次試験に共通テスト(旧センター試験)を採用している。受けた人なら分かると思うが、運次第で数十点のブレが出るようなテストだ。実力を測るというよりも運試し要素のほうが大きくなる人のほうが多いだろう。実際、共通テスト方式の一次試験を未だに採用しているのは日本と韓国などの数国のみであり、欧米列強はとっくに撤廃している。

そして二次試験。今回は日本の芸術大学系で話すが、基本的には「実技」が求められる。しかし、実技と言ってもデッサンや油絵、色彩構成と呼ばれるいわゆる「入試のための勉強」が必要不可欠なものであり、良いところに行くために数年間をそれに費やす人も少なくない。

もちろん、油絵やデッサンが無意味とは言わない。大学に入ってそれを使ったり、本職として極めようと考える人もいるだろう。だが、前提として「入試」なのだ。いかにその学校の傾向を掴み、合わせるかというすり合わせが間に挟まってしまう。もう一度言うが、これを数年間ずっとだ。要は、フラッと、ではけしてたどり着けない領域があるということだ。

そして海外はというと、そのような「入試」ではなく、自身の作品を見て評価し、合否を決めるところが殆どらしい。ここまで書けばもう分かると思うが、本物の若い才能を見つけるにはこれが1番なのだという。少し考えればその通りだろう。日本のアーティスト(音楽家含む)に有名芸術大学出身者が少ないのも頷ける。

 

そして考えてみた。

前述したその芸大人(げいだいんちゅ(本当は漢字が違うがエゴサ避け))は何を隠そう、数ヶ月前に私、いや私達と同じステージに立っているのだ。詳しくは書かないが、とあるイベントの有志というくくりでだ。

あの有志団体の中で、1番の芸術家は誰だったか。答えは分からない。

 

この考えは愚かで、自分勝手で、惨めで、思い上がりもいいところなものである。嫉妬は強い原動力になる。しかし、何人の才能のない、周りと少し違うことをやっているだけで選ばれたとカン違いする人間が、この言葉で叶うはずもない夢を見続けてきたか。

 

たが、私は思う。いや、私だけでなく、今遠くにいる友人にも思っていてほしい。大学入学ではなく、大学生活で何をし、何を成すかまでを考えた人生を歩んで欲しい。

大学の4年間は、いわば就職までの猶予期間でしかない。私はそのルートから脱出したく思っている。幸いなことに、私の得意分野はインターネットを通じての発信に長けているものが多い。その分参考にはならないかもしれないが、大学入学を目標にしているだけで将来の漠然とした夢もない人間は、結局は敷かれたレールに乗っているだけである。別にそのことを批判する訳では無いが、そのレールに乗れもしなかった時はどうしようもないだろうし、そのレールの目的地には名前も知らないような駅からたくさんの人がやってくるのだ。

 

さて、もう夜も遅い。明日はトロッコの始発駅に行かなくてはならないからな。私の友人の中にも転覆を試みるテロリストがいるはずだ。「思い立ったが吉日、その日以降はすべて凶日」とな。

 

本日の醜い独白はここまで。次はないと願う。

さてここで一曲お送りしましょう、賭博と焼きそば、一平レイディオ―