うしずぼ日記

ひゅ~ん

当分書かないと言ったものの、、

最近ブログが伸び悩んでおる。そんなわけで当分書かないと言った私だが気が向いたら書こうと思う(文章力向上にもつながるため)。

 

さて、本日わけあって(Saucy Dogの名曲のことではない)、戦後から現代までの社会を人々の感情から捉えてみるというような趣旨の文章を読んだ。

人間には硬い感情の人と柔らかい感情の人がおり、硬い人は共感性に乏しく、凝り固まった考えしかできないという(管理職や年齢の高い者に多いそうだ)。それに対して柔らかい人は共感性に富んでおり、想像力があるらしい。

 

文中では硬い人が硬くなる原因について筆者の仮説を交えながら書かれていた。その仮説は、というと、戦争によって生じた自らの残虐性への気付きから目を逸らし、敗戦国として被害者面をするという敗戦の総括の歪みから人々の感情は硬くなっているという。

分かりにくいのでもっと端的に説明すると、自分の感情から目を逸らす、あるいは自分の感情を完璧に理解した気になることで感情の分析が疎かになり、感情というものに対する意識が希薄化するということだ。人間は物事の判断材料としてあらゆる基準や規範を用いているようで実際に最終的な判断は感情に依るものであるために、感情への意識が乏しいと柔軟性のない判断しかできない(判断材料に感情、ではなく基準や規範などの感情以外のもののみを用いるため)、と筆者は述べていた。

 

多様性が広く叫ばれる昨今、柔軟な感情、思考を持つことが必要不可欠。つまりここでいう柔らかい感情を持つ人間が求められているわけだが、柔らかい人間のみになってしまうのもいささか問題であるように私は思う。感情が判断要素の多くを占めるようになってしまっては、社会が成り立たなくなるのではないかと思う(成り立たない、は少し過剰な表現か)。感情を重要視するようでは情状酌量パレード、共感性が高いあまりにヴィーガンパレードではないか。

 

 

まぁここまで書いてきた私だが、私はブログを書く時いつも構想などを練らず行き当たりばったりで書いている。よって、終着点が見つからないことがよくある。私は下書きなどは残さない(残す時は書いている途中で用事などで書ききれなかった時のみ)ので、なんとかして毎度オチをつけるのだが今回ばかりは話を広げすぎてどうまとめていいのやらわからない。

こういう評論めいたことを書くときには構想をしっかり練ることも大切なのかもしれない。

 

しかし私は気楽にブログを書きたいので構想など作る気はないし下書きに残してリライトなどもせん!!(高校時代の作文などはちゃんと納得いくまで書き直したりしましたよ)

 

 

今回のブログは1000文字以上の結構な長文になりましたね。最後まで読んでくれた方ありがとう。

 

ほんっっとに!伸び悩んでるので☆、コメント、ブックマーク、読者登録など、ぜひお願いします、、!

 

またこんど!